「神に帰するのである」 03−09−28
ローマ11:33〜36
私たちの歩みには、「どうしてこんなことに…」と嘆くことしかできない時があります。
愛する者を失った時には、そんな思いでいっぱいになります。そのような私たちに、
<すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです>と
御言葉は語りかけてきます。
「すべてのものは神から出る」と言われます。私たちはすべて、天地をお造りになった
神に根拠を持って存在するようになった者です。神と無縁の存在ではなく、深い関りの
中にあります。<ヤコブよ、あなたを創造された主は、…今こう言われる。恐れるな。
わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。>
(イザヤ43:1)とおしゃっていただく者です。「どうして」と嘆くしかない時に、この言葉が
ないとしたら、人は慰めを得られません。
「神によって保たれている」と言われます。これは神の愛があるから可能となること
です。人は、神から出た存在でありながら、神に背くものとなりました。
しかし、神はそんな人に背中を向けるのでなく、なお私たちを愛し、私たちの存在を
保とうとしてくださる方です。「あなたはわたしのものだ」と言い続けてくださるのです。
主が十字架にかかり、私たちの罪を赦してくださったのは、まさにそのためで
ありました。
「神に向かっている」とも言われます。神は最終的な目標を持っておられます。
神の支配の完成する神の国です。<見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に
住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙を
ことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも嘆きも労苦もない。>
(黙示録21:3) 神から出、保たれる私たちはそこに向かっているのです。
人には、神の道を理解し尽くすことは出来ません。
しかし、私たちが知っているのは、このような神なのです。
ですから、「どうして」と嘆きながらも、希望を失わないですみますし、
倒れてしまわないのです。